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渋沢栄一の名言は?家系図から子孫が判明!記念館が気になる!

新紙幣の1万円札の肖像画に渋沢栄一(しぶさわえいいち)さんが選ばれましたね!

今回は渋沢さんの生年月日や経歴、出身地や血液型など

Wiki情報を交えながら彼の残した名言や家系図や子孫

さらに彼の記念館が何処にあるのかを紹介してきます!

渋沢栄一さんはどんな人だったの?

こちらが今回紹介していく渋沢栄一(しぶさわ えいいち)さんです

写真がモノクロな事から昔の人なんだーって思いますが

そこがまた凄いんです!

渋沢さんの生年月日は1840年3月16日生まれで

1931年11月11日に亡くなられています

最近元号が話題に上がったばかりですが

1840年は元号では天保11年で1931年は昭和6年です

元号の数だけでいうと渋沢さんは11元号を跨いで生きてこられた方で

91歳で亡くなっております

今でこそ90代まで存命な人は多いですが

昭和40年で全国の平均寿命が60代前半とのことで

そこから30年近く前での91歳は非常に長寿であったことがわかりますよね

渋沢さんの凄い所は色々ありますが

何よりも平均寿命の2倍近く生きられた点で驚愕してしまいます

 

そんな渋沢さんですが生まれは武蔵国榛沢郡血洗島村(現埼玉県深谷市血洗島)で

長男として生まれ

実家の稼業は藍玉と呼ばれる藍の葉から作った染料の製造販売と

養蚕を兼営し米、麦、野菜の生産も手がける豪農だそうで

現代で言うと一流メーカー的なお仕事をされていました

このような話をすると割と最近な気がしますが

渋沢さんの時代はまだ徳川幕府の江戸時代のお話でして

渋沢さんは家柄もありエリートコースで勉学や剣術を学んでいき

その後、幕府を倒すという尊王攘夷運動に参加するものの

そこから一転し幕臣となり現代の外交官のような仕事を行います

かなり重要なポジションにいるものの複雑な動きをしているので

ここでは割愛させてもらいます(笑)

現代の一流企業の設立に関わっていた?

渋沢さんの最も偉大な功績と呼べるものが

銀行や企業の設立です

外交官時代に海外に赴き学んだ事をいかし株式制度の導入や

国立銀行の設置や地方銀行の設置

さらに東京瓦斯、東京海上火災保険、王子製紙(現王子製紙・日本製紙)

田園都市(現東京急行電鉄)、秩父セメント(現太平洋セメント)

帝国ホテル、秩父鉄道、京阪電気鉄道、東京証券取引所、

キリンビール、サッポロビール、東洋紡績、

大日本製糖、明治製糖といった名だたる企業以外にも

500の企業の設立に渋沢さんが関わっていたようで

以上の功績から

実業家のなかの実業家であり

日本の会社という物を創り上げた偉人とされております

簡単に紹介してしまいましたが

もっと分かり易く掘り下げて知りたい方は漫画もあるのでどうぞ!

週刊 マンガ日本史 改訂版 79号 渋沢栄一
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家系図があった?子孫は何をしているの?

これだけ偉大な人物の子孫がその後何をしているのか?

気になる人もいますよね?

渋沢さんの家系図なるものも公表されているのですが

実際の所名前だけではなかなか分からないですよね?

下記にWikiからの引用になりますが

子孫の方の経歴を紹介したいと思います

奥さんに関しては2人いらっしゃいまして
①千代(1841年 – 1882年) – 歌子、琴子、篤二の母。コレラで亡くなる。栄一とは従兄妹同士。

②兼子 – 武之助、正雄、愛子、秀雄の母。兼子は水戸藩の金子御用達であった
深川油堀の伊勢八(伊藤八兵衛)の娘で婿を取って家を継いだが、
実家が没落し、夫と離縁した。芸者になるために両国の口入れ屋に頼んだところ、
渋沢の妾口の話が持ち上がり、後添えとなった。
奇しくも当時の渋沢の家は兼子の実家が没落時に手放したものだったという

次に奥さん二人との子供ですが庶子が兼子さんとの子になります

長女:歌子(1863年 – 1932年) – 法学者の穂積陳重男爵に嫁ぐ。著書に『穂積歌子日記』。
二女:琴子(1870年 – 1925年) – 大蔵大臣、龍門社理事長となった阪谷芳郎子爵に嫁ぐ。
長男:篤二 (1872年 – 1942年) – 澁澤倉庫会長、妻は伯爵・橋本実梁の娘敦子。
渋沢家嫡男であったが廃嫡となり長男敬三が栄一嫡孫となる。
理由は諸説あり定かでは無い。新橋の芸者・玉蝶との
遊蕩を理由との説もあるが、事業家というより
感性豊かな芸術家肌で蒲柳の質を心配されたためとも伝わる。
二男:武之助(1886年‐1946年) – 石川島飛行機製作所2代目社長
三男:正雄(1888年 – 1942年) – 日本製鐵副社長。石川島飛行機製作所初代社長
三女:愛子(1890年 – ?) – 澁澤倉庫会長、第一銀行頭取、龍門社理事長となった明石照男に嫁ぐ。
四男:秀雄(1893年 – 1984年) – 東京宝塚劇場会長、東宝取締役会長。
庶子:ふみ – 母は大内くに(1853年 – ?[37])。東洋生命社長となった尾高次郎に嫁ぐ。
次郎は栄一の妻千代の兄尾高惇忠の子。
庶子:照子(? – 1927年) – 母は大内くに。富士製紙社長となった大川平三郎に嫁ぐ。
平三郎は栄一の妻千代の姉の子。
庶子:星野辰雄(1893年 – ?) – 東京印刷社長・星野錫の養子になり、
のち立教大学教授。栄一の長女歌子の夫穂積陳重の弟穂積八束の次女と結婚。
庶子:長谷川重三郎(1908年 – 1985年) -第一銀行頭取。
養子:平九郎(? – 1868年) – 栄一の妻千代の弟。飯能戦争で新政府軍に敗れて自決。

引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%8B%E6%B2%A2%E6%A0%84%E4%B8%80#%E7%B3%BB%E8%AD%9C

お子さんたちだけでもこの情報量ですがお孫さん曾孫さんたちまで行くと

膨大なので割愛します

詳しく知りたい方は引用元よりお願いします

そして新紙幣の候補へ

麻生さんより新紙幣の変更の発表がなされて

再度注目を浴びることになった渋沢さん

世間の反応としては数字の表記がダサいなんて声もあがってますね

裏面の建物は東京駅だそうで新紙幣の発行は2024年になるとのことでした

1万円の隠語に諭吉さんなどと使いましたが

あと数年すれば栄一さんになってしまうんですね

このような変化が一番歳を重ねたなって思いになるのは

私だけではない気がします

紙幣といえば楽天では旧一万円札が驚きの価格で販売されているので

一度ご覧になってみませんか?

今から諭吉さんを保存しようかなって思っちゃいます(笑)

聖徳太子 10,000円100枚束未使用
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記念館は何処?展示内容は?

写真は埼玉県深谷市下手計1204にある渋沢栄一記念館です

展示物は渋沢さんに所縁のあるものから渋沢さんが書いた墨絵などが

展示されていて午前9時から午後5時まで無料で見学できるとの事

また資料解説員がいるようで解説も無料、団体での訪問は

要予約となっていました

天皇皇后両陛下も見学された場所で

これから人気スポットになる事が予想されますので

行くなら今って感じですね!

最後に渋沢栄一さんの名言を紹介

簡単にですが渋沢さんについて書いてみました

最後に彼の残した名言をまとめてみました

身体はたとい衰弱するとしても、
常に学問を進めて時代に遅れぬ人であったならば、
いつまでも精神に老衰ということはなかろうと思う。

目的には、理想が伴わねばならない。
その理想を実現するのが、人の務めである。

他人を押し倒してひとり利益を獲得するのと、
他人をも利して、ともにその利益を獲得するといずれを優れりとするや。

富貴に驕ってはならない。貧賤を憂えてはならない。
ただ知識を磨き、徳を高めて、真の幸福を求めようとすること。

事を成し、物に接するには、必ず「満身の精神」をもってせよ。
ささいな事であっても、いい加減に扱ってはならない。

人に接するには、必ず深い敬意を持ってせよ。
宴楽遊興の時であっても、敬意と礼を失ってはならない。

交わってためになる友を近づけ、損になる友を遠ざけ、
かりそめにも己にへつらう者を友としてはならない。

 

名言を読むと渋沢さんは常に人との関係を意識されて

数々の偉業をなしてきたのだと私は感じました

あまたの企業の設立に携わり星の数ほどの人と交流をしてもなお

人との関係を信条に生きられた渋沢さんについてでした

ネットの反応は?

 

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